書評 田村秀男Vs渡部悦和『経済と安全保障』(育鵬社)

博士77
 二宮尊徳の遺訓は「経済なき道徳は戯れ言だが、道徳なき経済は犯罪である」だ。
 日本の経済人の多くは、この警句を忘れ全体主義国家と人権無視、ジェノサイドには目を瞑り、ひたすら目先の利益をはじき出すビジネスの拡大に血道をあげている。いずれ手痛い打撃を受けるだろう。

 国家の衰亡とは、歴史的地理的に経済が大きく絡んでいる。例えば、古代「筑紫君磐井の乱」では、大和朝廷にまつろわぬ九州豪族の叛乱としてだけで片付けられる問題ではない。

 古志の大王だった継体天皇は新羅との貿易で財を成し、のし上がった。即位後も大和のような港に遠い都へ移る意志なぞなくて、淀川水系が経済の血脈であるという認識から戦略的拠点の確保のために樟葉、筒城、乙訓に行宮を置いて西国(西日本)ならびに外国との交易を奨励し、監視していたのだ。実は歳入の源でもあった。

 継体天皇は二十一年、新羅と独自の交易をする北九州の大豪族、磐井から玄界灘ルートを取り上げるために兵を挙げ、一年半かかって、ようやく退治した。磐井の息子葛子は玄界灘利権を献上し、以後は大和朝廷の国造(くにのみやつこ)として存続した。

 戦後の歴史学者は、このような経済的側面を忘れて議論をしている。本書の肯綮は、経済と安全保障は密接不可分の関係にあること。また、国力はGDPだけではなく、「国民の意思」と「国家理性」という測定しがたい要素も加味して「国力」を測定しなければならないという原則を示している。

 だからこそ田村氏というエコノミストと元陸将の渡部氏の対談という異例の顔合わせが実現している。

 現在の国防論議は経済の視点が希薄で、国防と経済の密接不可分関係という認識が薄い。『国民の生命と財産』を守るだけが国防ではない。

 本書の冒頭で「強くてしなやかな国になってほしい」と願う渡部氏(元陸将)が、レイ・クライン博士の「国力方程式」を提示している。この方程式はDCのシンクタンクの一部から「国際政治学のアインシュタイン理論」と高く評価された。

クラインの国力方程式とは、
 「P=(C+E+M)x(S+W)」
というもので、Pが国力、Cは人口+領土、Eが経済力。Mは軍事力。測定不可能だが、S=国家戦略目標、W=国家意思、となる。

  当時(日本版刊行は1981年)、日本のランクはGDP世界二位だったが、総合国力で八位とクラインは査定した。いま? S(国家戦略も公卿)とW(国家意思)がない日本は二十位にも入らないのではないか。

 田村氏は「国力」の重要度を「経済力」として、次のように日中経済力比較などを展開している。

 「日本がどこまで落ち込むか。底が見えない。主因は1990年代後半から始めってきた物価・賃金の下落、すなわちデフレ圧力によるもの。一方、実質実効為替レートと名目GDPともにめざましい増勢基調を保ってきたのは中国だ」。日本の政策失敗により、GDPでも中国に追い抜かれた。「2020年は1997年に比べ(中国の)名目GDPは12・7倍、実質実効為替レートが28・7倍上昇している。対極にあるのが日本だ。それぞれ0・9%減、29・2%減。この間の日中のギャップは、実質実効為替レートでは57%減にもなると。ドルベースでみた中国の名目GDPは1997年で日本の21%だったが、いまや約三倍になってる。しかも対外購買力を日本に比べて五割以上高めている」

 だから中国は「安い、安い」と叫び、日本の戦略的要衝を買い占め始めた。国家安全保障にとって、これほどの危険はあろうか?

 本書はそうした危機意識を基底として濃密に書かれた憂国の書である。

 但し、両氏は中国の発表を鵜呑みにしている嫌いがある。中国の発表は「良きことに関しては三割減」とし、「悪しきことは2倍」として捉えるのが現実的であろう。確かに习近平は中共に於ける三つの権力を握ったが、実質経済、気象変化、対中国包囲網などには、なにひとつ有効な手立ては打てないでいる。本書は、このポイントを加味して読み解くと丁度いいと思った。