秋になってから慌ててももう遅い

博士77
 「怠け者の節句働き」という諺がある。普段diligentでもないのに限って節句の最中も(何となく)働いている者を揶揄してのこと。筆者はこの数年そんな感じである。外国にいるために祝日が関係ないこともあるが、実際に忙しい。

 後期高齢を迎え、こんな筈ではなかったが、頼まれてのこと、やりたいことが山積していて仕方無し。粛々と熟しているが、ひょっとして「生産年齢人口」の一員であった頃より多忙かもしれない。でもそうしたことが出来ることが先ず以て有り難いこと。健康か寛解でなければ叶わないのだから。

 これまであちこちの高齢者施設を訪れているが入所者の半数以上が筆者より若い。そこでは、保育園や幼稚園さながら、日がな折り紙でつくった魚を磁石で釣ったり、(お互い聞き飽きてる)昔話で1日を過ごすなどとてもではないがやってられない。

 しかし、このColumnで屡々述べているように「平均寿命」まで生きられない人が半数以上いる。そして重篤もしくは深刻な既往症を患っている人もまた半数以上いる訳で、要介護3ともなればスズメの涙の年金と預貯金の取り崩しでそうした施設に収容されるしかない。剰(あまつさ)え薄っぺらな年金がこれから半減されることが確定となり、インフレ率も脱兎の如く跳ね上がる中、認知症などで人間の最も「つよみ」とする「考えること」ができなくなったらどうするのだろうか?と思ってしまう。

 仮令(たとえ)、足腰が強く一見、矍鑠(かくしゃく)としていても社会人の一員として而立して生きていくのは難しい。高齢者を活用(雇用)する仕組みになっていないからだ。

 やはり、生産年齢人口にあるときにしっかり稼いで資産形成なり、蓄財をすべきであろう。しかし、日本は20年近くも所得が増えることがなく 偶々、物価が安定していたことも相俟って、老後破綻のことなど考えずに漫然と生きている。預金ゼロの世帯が35%もいることに驚くが、平和呆けだけではなく、現実に向き合っていないことにもっと驚く。

 本来なら人生の終盤を悠々自適で楽しめるときだと言うのに、老体に鞭打って働かなければならない。そして、新たな仕事に就こうにも(雇用者に向けて)自分が必要だとのアピールできるポイントがないから「いい就職なんかできない」し、出来たとしても高等教育を受け、半生の職務経験を活かせるものではない。(代弁すれば)職務の分業化により、そのような「スキルを育む暇(いとま)が無かった」のであろうが、それこそ「ボーッと生きてるんじゃねーよ」と五歳児に言われそう。

 資産防衛とは、言ってみれば、老後に備え、資本となる「躯」と「お金」の二つの資産をバランス良く温存していくことである。それを現役世代から取り組まねばならない。

 1800年も前(紀元前6世紀)にアイソーポス(イソップ)は「アリとキリギリス」でそれを指摘している。秋になってから慌ててももう遅い。

 これへの書き込み

先生の理論は正しいと思いますが頭が悪い人、学歴がない人には厳しいと思います。国や社会がそこをフォローすべき、頭や体に悪い遺伝子を持った親から生まれたらどうしようもない。

蟻は土の中に巣を作り集団で生活するもの越冬に備え夏の間に食料を備蓄する。でもキリギリスにはそのような習性はない。なぜなら翌年の春まで生き残ることはないからです。そこで夏の間、新鮮な樹液や蜜を楽しみながら、羽音を奏で子孫に命をつないでいくのです。アリとキリギリスは、そもそも生き方が違う。イソップはそれを無理やりくっつけてる。まあ2600年も前の人だから。

私の知っている日本人もそうです。お金よりも大切なものがあり、裕福ではないけれど家族は幸せに暮らしている、などと言って憚らない。でも、日本もアメリカも資本主義国であり、いい暮らしをしようと思えばお金が必要。美味しいものを食べたければお金が必要、よい医療を受けたければお金が必要です。そういう人は家族を冒涜しています。お金を稼ぐという本来果たすべき役割を放棄した人間のクズだと思います。

本当にそう思います。平均寿命まで生きれると思うなよと言いたいですね。そして人生の後半を健康に過ごせるのは1/4以下と聞けば、自分は病気にならないとか介護状態にはならないと思うのは単にバカか現実逃避、夫がそうでなくてよかったです。